眩 しけもく

適当に思った事を吐き出すものです

がんばろう、をわすれてしまうこと

希死念慮はずっと消えないものだ。

死にたいと漠然と思うけど死にたいからはできるだけ逃げたいので、何とかしてそれに理由をつけようとする。

押し付けた理由を改善すれば死にたく無くなると我武者羅に思い込んで何とか生きようとしている、と思う。

 

自分はこれが出来ない、それが悔しくて仕方なくて逃げたいから死にたいのだ。

自分はこの状況が嫌だ、抜け出せないから死にたいのだ。

 

何とか理由を付けて、なんとかその原因を解決する方法を思索して。ひとしきり泣いてスッキリしたら、改善できるようにちゃんと動こう。

そう決めて、紙に書いて机の前に貼り付けて。

 

そうして泣いて晩を明かして、次の日になれば『やろう』ときめた心は、決意は、意思は霧散して消えてしまっているのだ。

 

自分が何故そうなのか分からない。うつ状態なのかとも思うけれど、そうなっても仕方ないようなきっかけなんかは何一つ見当たらないし、環境は恵まれている方だからきっとこれは甘えなのだと思う。

 

何かを頑張った経験、挫折した経験、諦めた経験や絶望した経験があまり思い出せないでいる。自分が何をして何を感じてどう生きてきたか、あまり思い出せないでいる。

 

起こった事象は分かる。体験した事物は分かる。けれどそれに自分がどう立ち向かってどう対応して、どんなことを感じたのかを、あまり思い出せないでいる。

思い浮かぶのは角が丸い斜めった四角ぽい印象とか、周りが幾何学模様のようなもので縁取られた縦長の楕円だとか、その時に聞いたのであろう音楽のワンフレーズだとか、そういったような抽象的な?イメージだとか、結びついた何かとか。

 

そう遠くない昔のこと?で、高校の部活で自分だけ入賞出来なかったことがあり泣きそうになったことがあった。

けれど、自分はその時にむけて努力したか、頑張ったか向き合ったかと言われれば否で。その時抱いた感情はきっと『頑張ったのに』と言う努力の裏切りへの憤怒や後悔、悲しみではなく、『自分一人だけ』という事への恥ずかしさだけだったのでは、『頑張らなくてもいいや』という無意識の後悔なのでは、と思う。

 

そんなことを、高校の時恐らく7回ほど繰り返した。最後の大会では何とか賞をとることは出来たけれど、自分はそれ1度だけであった。

 

悔しいと思ったなら頑張ろうと思ったなら、もっと頑張れば良いだろうと思う。僕だって思う。

けれど、ひとしきり一人で泣いたあと、次の大会が巡ってくる頃にはそんな後悔など忘れて『頑張らなくてもいいや』と何故か思っているのだ。

 

1人だけが恥ずかしくって頑張ろうと決意して、恥ずかしくて悔しくてあんなに泣いたとしても、直ぐに忘れてしまっていた。7回も繰り返すなんて何も学ばない馬鹿でしかない。

僕もそう思う。

 

 

こうやって馬鹿を抜け出すために色々書き連ねても、きっと明日にはまた僕は頑張ることから逃げて全てを忘れたフリをして、自業自得の無力感に首を絞められながら生きていくのだと思う。