眩 しけもく

適当に思った事を吐き出すものです

好きでいる才能

昨日は書けなかった。

 

好きな曲を沢山詰めたウォークマンは宝箱のようだなと思うと、灰色がかっているキラキラもしないそれでも少し輝いて見えるような、気がする。

 

バスを待ちながらイヤホンをして適当に曲を流していて、月とラクダの夢を見た、という曲に差し掛かって泣いてしまった。目を閉じて、暖かいふわりとした緩い空気に包まれる感じ。優しさが、すごく苦しくて愛おしくて上手く息が出来なくなる。

 

上手に生きたいなと思う。誰かに何かに依存することなく、自分一人で幸せになれる強い生き方をしたいなと思う。きっと自分一人では幸せになれないけれど。

 

自立、独立と孤立の違いはなんだろうと少し考えたりする。一人で立つこと、自分で立つこと、孤独に立つこと。周りに人がいるかとか自分の意思がどうだとか、それは何となく分かる。違うこともわかる。けど、自分が今どの立ち方をして、どうすればどの立ち方になれるのかとか、そもそも今自分は立てているのか、とか。

きっと僕は座りながら一人ぼっち、だとすれば孤座?変な言葉、でもきっとそれがぴったりなんだろうなと思う。

 

 

自分の好きがなんなのか分からなくなる。誰かの好きも、大して分からない。好きだなと思う人はいるけれど、どこがと言われれば分からないしその人のクズだなと思うところもあるしなんで好きなのかと言われればよく分からない。小さい頃からの憧れを勘違いしているだけな気もする。その人は僕を好きと言ってはくれるけれど、性的なものでしか求めていないからきっと兄弟らと同じなんだろうなと思う。好きと言ってくれる人はいるけれど僕がその人を頑張って褒めたり悩みを聞いているからで、きっとそうでなかったら好きではない。都合の『良い人』でしかなさそうで。

 

打算的というか。損得の絡まない好き嫌いは存在するのかなと、ふと。よく触れる音楽だとか映画も時間を忘れさせてくれるから、言葉を形にしてくれるから好き、というような感じ、な気がする。そうでなかったら好きじゃないのかな、分からない。そもそも好きってそんなもので良いのかな。分からない。

 

何かを何となく、理由もなく好き、と言えるのはある種の才能だと思う。

僕はずっと創作をしてきた、楽しいと思っていた。けれど、1人になった途端苦しくて寂しくて楽しくないと言うか、創作が出来ていない。思い浮かべるけれど形にする気力がない。なら、僕の中で創作はただあの界隈の人たちと繋がるためだけのツールだったんじゃないのか、僕は本当に創作が好きなのか。

 

創作を好きでないなら、僕はきっと界隈にいる資格がないというか。何となく、界隈にいるのが寂しくて申し訳なくて、創作を好きでいられない自分がどうしても憎らしくて嫌になってしまう。

 

 

何かを好きでいるのも、きっと誰もが持ち合わせるはずで僕が持てなかった、ひとつの才能なんだと思う。