眩 しけもく

適当に思った事を吐き出すものです

夜の時間

今は朝だけど昨日の夜の話。

また断続的に起きた。昨日は昼間に寝てしまったから寝付くのも遅くなってしまったから、半分は仕方ないんだと思うけど。

 

小学生の頃にタイムスリップする夢を見た。タイムリープというのかな、違いがよくわかっていない。コロナのことなんて誰も知らなくて、今年の初めに自殺した友人もまだ生きてて、みんな馬鹿みたいにうるさく騒いでた。泣きそうになった。

それもすぐ起きてしまって、それからすごく怖い夢を見た。何が怖かったのか覚えてないけど、すごく不気味な何かがあってじっと見られてる感じ。ODの影響なのかなと少し不安になった。起きてトイレに行ったんだけど、トイレへ行く道中の真っ暗な廊下も少し怖かった。子供みたい。

 

寝る前にlainの実況を見ていたから、それもほんの少しあるのかな。分からない。

lainはどことなく見ていて不安になるけどすごく面白い。集中してしまう感じ。

僕もあんな創作出来るようになるのかな。分からない。出来たらいいけど。

 

創作する元気がなくて苦しくて、時間を潰すために色んな創作物を見ている。後でふりかえって後悔したくないから、自分の糧になりそうなものを。

 

見ていてもやっぱり創作をどうするかとか、表現をどうするかばかりを気にしてみてしまっている気がする。悔しいし悲しいけど、自分も創作を好きでいれてる気がして嬉しい。

 

 

小学生になれたら、自分はどうするんだろう。コロナのこと話したりするのかな。分からないけど、もっとみんなを大事にして、自分のことをもっと見れるようにしたい。わがままも抑えて、もっと相手の気持ちを労れるようにしたい。

 

 

 

後悔が多い。泣きそうだ

無題

何を書こうか迷っている。

界隈に顔を出さなくなって、関係を経ってもう随分長い時間を過ごしている感覚がする。でも実際はあんまり経ってない。不思議。

 

時間を潰すために色々動画を見てた。無駄にしたと悔やみたくないからできるだけ勉強になるものを。

犯罪心理系の解説をしている動画の中で、『愛着障害』というのを知った。幼い頃に母親のような保護者?と上手く関係を築けなかった人に稀に見られる?ものらしい。僕も多分、それだと思う?

 

親が毒親だったわけじゃあないけれど、兄弟も多く家もそれほど裕福じゃなかったから姉や兄に良く面倒をみられたという話はよく聞いた。忙しく、兄の学校の先生と一緒に遊んだり、兄や姉の友達とよく遊んでいたという話も聞く。ここら辺の記憶はないから本当に小さい頃なんだと思う。

おばあちゃんが入院してバタバタした時は1人だけ幼稚園に残って1人で遊んでいた記憶。先生は付き合ってくれた時もあったけど、僕があまり話さないのと単純作業ばかりが楽しくて黙々としていたから先生も避けていた感じ、な気がする。幼稚園の頃の連絡ノートに、他の子と上手くコミュニケーションが出来ていないって書かれていたのを覚えている。

少し、関係ありそうな気が、する。

 

あんまり人と話したくないような感じもある、けど寂しいのもある。楽しそうに誰かがしていると寂しいし中心人物にはすごく嫉妬する、僕も真ん中で話したいと思うこともある。

 

直すには1度自分を殺す必要がある、んだって。怖い。1人でできるか不安。

 

でも、頼れる人は居ないから、1人で頑張る。

 

鬱を考えなくていいように最近は腹筋したり勉強したりしてるようにする。

 

 

がんばろうと、おもう。

好きでいる才能

昨日は書けなかった。

 

好きな曲を沢山詰めたウォークマンは宝箱のようだなと思うと、灰色がかっているキラキラもしないそれでも少し輝いて見えるような、気がする。

 

バスを待ちながらイヤホンをして適当に曲を流していて、月とラクダの夢を見た、という曲に差し掛かって泣いてしまった。目を閉じて、暖かいふわりとした緩い空気に包まれる感じ。優しさが、すごく苦しくて愛おしくて上手く息が出来なくなる。

 

上手に生きたいなと思う。誰かに何かに依存することなく、自分一人で幸せになれる強い生き方をしたいなと思う。きっと自分一人では幸せになれないけれど。

 

自立、独立と孤立の違いはなんだろうと少し考えたりする。一人で立つこと、自分で立つこと、孤独に立つこと。周りに人がいるかとか自分の意思がどうだとか、それは何となく分かる。違うこともわかる。けど、自分が今どの立ち方をして、どうすればどの立ち方になれるのかとか、そもそも今自分は立てているのか、とか。

きっと僕は座りながら一人ぼっち、だとすれば孤座?変な言葉、でもきっとそれがぴったりなんだろうなと思う。

 

 

自分の好きがなんなのか分からなくなる。誰かの好きも、大して分からない。好きだなと思う人はいるけれど、どこがと言われれば分からないしその人のクズだなと思うところもあるしなんで好きなのかと言われればよく分からない。小さい頃からの憧れを勘違いしているだけな気もする。その人は僕を好きと言ってはくれるけれど、性的なものでしか求めていないからきっと兄弟らと同じなんだろうなと思う。好きと言ってくれる人はいるけれど僕がその人を頑張って褒めたり悩みを聞いているからで、きっとそうでなかったら好きではない。都合の『良い人』でしかなさそうで。

 

打算的というか。損得の絡まない好き嫌いは存在するのかなと、ふと。よく触れる音楽だとか映画も時間を忘れさせてくれるから、言葉を形にしてくれるから好き、というような感じ、な気がする。そうでなかったら好きじゃないのかな、分からない。そもそも好きってそんなもので良いのかな。分からない。

 

何かを何となく、理由もなく好き、と言えるのはある種の才能だと思う。

僕はずっと創作をしてきた、楽しいと思っていた。けれど、1人になった途端苦しくて寂しくて楽しくないと言うか、創作が出来ていない。思い浮かべるけれど形にする気力がない。なら、僕の中で創作はただあの界隈の人たちと繋がるためだけのツールだったんじゃないのか、僕は本当に創作が好きなのか。

 

創作を好きでないなら、僕はきっと界隈にいる資格がないというか。何となく、界隈にいるのが寂しくて申し訳なくて、創作を好きでいられない自分がどうしても憎らしくて嫌になってしまう。

 

 

何かを好きでいるのも、きっと誰もが持ち合わせるはずで僕が持てなかった、ひとつの才能なんだと思う。

責任転嫁しつつの身の上話②

今年の初め頃、元?同級生が自殺した。田舎だから幼稚園から中学卒業までずっと同じメンバーの1クラスだけで生活してきたから、実質幼なじみみたいなものだ。

 

失踪して、ひと月経って死んだのが分かったらしい。僕が死んだ訳でもないのに、母さんはボロボロ泣いて僕を抱きしめた。

 

僕が死にたいと思っているのは、メンタルクリニックみたいな所に通わせてもらっていたから母さんも知っていた。だから、余計に不安にさせたんだと思う。

 

1度喧嘩?みたいなことをして、家を飛び出して公園までぶらっと歩きにいって、帰ってきた時も酷く心配して泣きそうになって抱き締められた。

 

 

僕が居なくなったら、おかあさんはきっとたくさん泣いて死んでしまうんじゃないかと思う。

僕の死んだショックが大したことなくても、きっと家が壊れるんじゃないかと思う。

 

ただでさえ母さんの更年期障害?とか始まっていて、父がもう少しで定年だから家にいるようになるんだから、家の中はきっとぴりっと、ギスっとする。おかあさんのケアとかお手伝いをする人がきっと僕が居なくなったらしなくなる。兄とかは本当に手伝いをしないしありがとうを言わない。母さんが家のことをしてくれるのを、きっと当然のように思ってるんだと思う。だから、きっとおかあさんの心が耐えられなくなってしまうんじゃないかと思う。

 

①で言った通り田舎に越してきて、歳の近い人もおらず、若い頃の同級生と今交流がある素振りも見せていない母さんは、きっと孤独になってしまう、と思う。

 

 

買い被りすぎかもしれないし余計な心配かもしれない。

 

けれど僕はおかあさんが心配で仕方ない。

 

 

だから僕はまだ死ねない。死にたいけれど逃げたいけれど、おかあさんが安心して死ぬまで、僕は死なない。

 

 

息が出来なくても界隈にいれなくても、孤独から逃げられなくても。

 

 

今は精神科に通ってない。行きたいと言い出せばきっと母さんは心配するから。

元気がないけれど、母さんが心配するからちゃんとご飯は無理やり食べてるしちゃんと笑っている。疲れてしまうけれど。

アームカットは絶対バレないようにしてる。大丈夫。

 

 

 

死ねない理由を怖いからじゃなくて母さんに押し付けるのはあんまり良くないと思っているけど、僕の中でくらい、少しだけ甘えさせてほしい。

 

 

ほんの少しだけ申し訳ない。ごめんなさいとずっと謝ってる。

 

 

 

素敵な親で、恵まれているはずの環境で、なんで僕はこんなに弱くてバカに育ってしまったんだろう。なんでこんなに上手く生きれないんだろう。

 

 

謝ることばかりだ。

もう少し、ちゃんと生きれたらと思う。

 

 

だから、ちゃんと生きる努力を少しずつしている。

 

朝ちゃんと起きたりとか、やらなきゃ行けないことをちゃんとやる、だとか。

 

今はそれで精一杯だけど、それがちゃんとできるようになったら普通の人の頑張ってるラインに立てるように頑張ろうと思う。

責任転嫁しつつの身の上話①

僕は田舎の6人兄弟の末。兄弟多くてびっくりされることもあるけど本当。長女、長男次男三男四男。それから僕。

 

僕が小学校あがる前か後、それくらいの時期に兄とSEXした。そうとも呼んで良いか分からないけど。僕がそれくらいの時には長男は8つ上だから、僕が6歳くらいだとしたら長男は14歳。性に目覚める頃で、歳の近い女の子や幼なじみもおらず、家にはなんでも真似したがってなんでも言うことを聞く、簡単に力でねじ伏せられる格好の獲物がいたのだから仕方ない。内緒ねと言ってキスをしたり下のものをくわえさせられたり、逆に舐められたこともあった。僕はそれがいいことかも悪いことかも分からないまま、感覚的に気持ちいいことではあったから多分嫌がってなかった、と思う。4男の兄ともそういうことをしたし、4男の友人とも似たようなことをした。悪いことと知らなかったし小さい頃から兄の遊びについて行ったらほぼ毎回そうしていたから、当然と思ってた。痛いことはされなかったし。父親と並んで寝てる時に胸や下を弄られるのは当たり前だったし、父親への行ってらっしゃいのキスは必ず舌がねじ込まれるものだった。父はタバコを吸ってたから、そのキスだけは嫌だったのを覚えている。思い返した時からずっと、父親とも兄弟とも普通に話すようにはしているけれど触れられるのは避けるようにしてる。思い返す度にきもちわるくて死にたくなっている。

 

母は知らない。数人の知人には少し話している。

 

母は素敵な人。大好きな人。悲しませたくないと切に願ってる本当に大事な人。

田舎に越してきて、近所はご年配の方ばかりのなか同じ年代の人も居ない、携帯なんかも多分まだ普及していないスーパーもないような所で、やんちゃに育つ僕ら6人を育ててくれた。寂しい思いも大変な思いもきっと沢山したんだろうけど、今50を超えても穏やかで優しくて素敵な笑顔と微笑みをずっと浮かべているから、本当に素敵だと思う。ネグレクトのようになった記憶は僕にはない。僕は上の兄弟がいたかはかもしれない。長女は寂しがったりしたかもしれない。お弁当も朝ごはんも夜ご飯も作ってくれる。洗濯もみんなの分をやってくれる。僕もたまに手伝うけど、それでも大半は母さんがしてくれてる。一昔前の当たり前をちゃんと丁寧に頑張ってこなしてくれている。大好きな人。母親として、僕はこれ以上に素敵な人はいないと思う。過干渉もなく、放置しすぎることも泣く。話はちゃんと聞いてくれるしやりたいことをさせてくれていると思う。パートもして学校のPTA役員もして、本当に、頑張っている素敵な人。

化粧やファッションにも興味があまりない。けど醜悪な見た目でも無い。天然の美人が順当に歳を重ねた感じなんだろうなと思っている。母さんの顔は僕からみても綺麗だと思う。歳を重ねているしシワもあるけれど。趣味はレース網みと植物を育てること、部屋の間取り図を眺めること。カエルが好きで猫も好き。写真集をあげたら喜んでいた。質素で、ありふれた事に幸せを見つけ出して幸せに生きていると思う人。怒鳴ることは滅多になく、手を挙げたりヒステリックになったりすることも見たことが無い。僕じゃない事でいらいらしていて、僕に少しきつく当たる、ということもない訳では無いけれど、落ち着いた後に必ず謝ってくれるしぎゅっとしてくれる。料理は特別上手でもないけど特別下手でもない、平均的だと思う。人の愚痴を聞いたりした、相談に乗ったという話を少し車での移動中に聞いたけれど、それに同調する訳でもなく愚痴を言っていた人を非難する訳でもなく。その人の行動の問題点を抽出して、『こういうのは良くないよね』っていう芯を教えてくれようとする?感じ。上手く言えないけど、素敵な話をしてくれる。

ちゃんとありがとうとごめんねを言ってくれる人。おかえりただいまをくれる人。暖かい人。ギュッてしてくれる人。

 

僕はおかあさんが大好きだ。大好きで仕方なくて、だから、ちゃんと素敵に育てなかった僕が情けなくて申し訳なくて不甲斐なくって仕方ない。

 

母さんに、カラオケに行ってみたいからいつか連れて行ってと言われた。コロナが広まる前にした約束は、コロナのせいでまだ果たせていないけど。長女が今三十路くらい。長女が産まれてから今までずっと多分そういった娯楽をしていないんだと思う。元々趣味が派手じゃないから興味がなかったのかもしれないけれど、凄くすごく愛おしくて申し訳なくてその日の夜はずっと泣いていた。僕らを大事にしてくれているのが十分伝わってしまうから。おかあさんがきっとみんなが当たり前に経験しているそれを放っておいてでも僕らにかまけてくれたことが嬉しくて有難くて暖かくて申し訳なくて仕方ないから。その愛が嬉しくて嬉しくておかあさんを幸せにしたくって仕方ない。

 

長女は独り立ちして家を出ているので、今は他の兄弟と両親で一緒に暮らしている。父親と上の兄たちは淡白であまり手伝いをしない。父親はありがとうとかをちゃんという人ではあるけれど独り言が多く、話をしている時に文がしっちゃかめっちゃかだったり主語が抜けていたりするので母は父と話した後はすこし疲れたりしている。指摘しても治らないからたまにイライラしている。兄たちは母さんと険悪でもないし特別仲良しでもない、多分普通。でもありがとうをあんまり言わないし洗濯物をほっぽったりお皿片付けなかったりで大変。そこら辺のカバーは全部僕がしてる。お皿洗ったりお風呂洗ったり、母さんがパートやPTAで遅れる時は僕が洗濯物畳んだり、とか。

 

ささやかなお手伝いしか出来ていないけど、僕偉い。

 

父さんとか仕事とかに関する母さんからの愚痴とかを聞いたり、仕事疲れた〜っていう小さなお疲れをよしよしって撫でたりぎゅってしたり、そういう役割も僕。家の内政は僕はあんまり出来ていないけど、おかあさんのケア?みたいなのは僕それなりにできていると思う。

 

 

だから、僕が死んだらおかあさんはどうなるんだろうと考える。

 

 

正直家を出たいと少し思うし、死にたいとなんと願う。反抗期も少しあるのかも分からないけど父さんとあんまり話したいと思わないし、兄とも。おかあさんが素敵じゃなくって大嫌いなくそだったら、きっととっくにそうしている。

 

けど、僕のおかあさんは素敵な人で、大好きな人だから、おかあさんを悲しませたくないから、死ねないでいる。

孤独からの逃走に失敗した話

悩みの種が尽きない。凄く個人的な物だし自分の甘さがいけないことはわかっている。

 

 

僕は創作が好きだ。集団創作をしている所にもう7年ほど身を置いている(ネット上の関係でしかないけれど)。僕の人生において、『友人』を上げろと言われれば、その界隈の人を挙げるだろう。現実に友人がいない、という訳では無いがその界隈の人との方が明らかに仲が良いし交流が深いのだ。

 

僕は新しい人と関わるのが凄く苦手で上手ではないから、中学から高校、高校から大学へと進学し環境が変わる度に新しく人間関係を築くことがあまり出来ていなかった。とどのつまり僕には友達が少ない。数人、片手で数える程度の友達と呼べるであろう間柄の人物は思い浮かぶけれど、その人と連絡をとるのも数ヶ月に一度程度。その人も僕も淡白で自分の創作に熱中し出不精だから、頻繁に連絡を取り合っている訳ではないから何かの相談や愚痴を話したりするような親密さではない。世間一般の、普通の人の感覚で言えば『知人』程度の関わり方なのだろうと思う。僕にとっては何より大事なほぼ唯一の友人なのだけど。

 

閑話休題

その界隈にいる人はもう馴染めているしある程度の距離を掴むのもなれているのでそこは凄く居心地が良かった。けれど、最近はそこに行けていない。否、行っていない。

 

自分の創作がどうしても下手で稚拙で馬鹿らしいものに見えて仕方なくなった。同じ界隈の人の創作に嫉妬して、また他の人たちが創作に奥深くまで熱中しているのに何処と無く着いていく事が出来ない寂しさを覚えて、何となくきっと拗ねているのだと思う。スランプと、僕の精神的な余裕がすり減ってしまったのもあるのだろうけど。

 

少し現実が忙しくなり、コロナで減っていた人との対面したコミュニケーションが増えてきた。僕は人が多いところにいくのが苦手だしほぼほぼ初対面と言ってもいい人の中で何かをするのが酷く億劫で心がすり減ってしまう。話をしようとすれば出来るし声をかけることも出来なくはない、のだけれどどうしても顔が赤くなってしまったり体が震えてしまったり。話し終わったあとはきまって不安でどうしようもなくて泣いてしまうし自己嫌悪で脳みそが埋め尽くされてしまう。職場へ、学校へ行くだけでもかなり心が消耗されてしまって、なかなか創作へ熱中することができなくなっていた、と思う。たぶん、恐らく。創作できない理由をそれに押し付けるのは凄くすごく汚い事だけど、少しくらい言い訳させて欲しい。辛くて不安で仕方なくて、それを理解して一緒にいてくれる現実の友人はいないのだ。相談出来る相手がいないのだ。

 

また閑話休題。集団創作、といってもTwitter企画のようなもので。そこで発展している所謂うちの子・よその子の話の話が繰り広げられている間に入り込むのが少し出来なくなってしまった。自分から声をかけて関係を築いて言ったり、発話したりシチュエーションを考えて投げる、というのが凄く怖くなってしまった。思い浮かばなくなってきてしまった。考えることが、人とのそういった好きなことでのコミュニケーションすらもが厭わしくなってしまった。一日の余暇のほとんどを自己嫌悪とそれを解消するための甘やかしとリラックスに消費してしまって、上手く出来なくなってしまったのだ。

 

少し創作から離れてみたらどうか、とも考えたけれど、創作で繋がっている界隈にしか居場所がないのだから、その界隈から離れてしまえば上手く息が出来ないのも孤独に苛まれてまた不安になってしまうのも容易に想像出来るし経験済みだ。創作をしていなければ、創作をしなければ、創作を好きでいなければ僕にとって居場所はない、安寧も楽しいも幸せもないのだ。

 

 

好きでいなければならない、という考えに変わった時点でもう手遅れでお察しなのだが、その頃にはもう何も楽しくなかった。創作も音楽を聞くのも絵を描くのも、美味しいものを食べるのもなにかの作品にふれるのも。全部楽しくないのだ。全部辛いのだ。何をしていても涙が勝手にじわりと滲むのだ。

 

今は創作ができていない。結果として今僕は界隈から離れて死ぬ準備をしている。

界隈のうちよそ談義は今こうしている間にも進み、世界は動き進行している。

僕は少し、ほんの少しだけ足を止めてしまった。それだけでもう、終わりなのだ。

ついていけなくなってしまった。置いていかれてしまった。否、進めなくなってしまった、そばにいれなくなってしまった。

 

 

酷い孤独感と焦燥感と希死念慮ばかりが頭を占めている。界隈にいれない僕は孤独に呑まれてしまって、もう発狂寸前なんだと思う。

お酒を飲んでODをしてアームカットをして、頭の中から希死念慮を無理やり追い出して楽しいふわふわで頭を埋めつくして、生きる恐怖と死ぬ恐怖を無理やり頭から追い出している。

 

辛いのだと、寂しいのだと、話せる友人が居ない。

界隈の人にも親にも迷惑をかけたくない。声をかけてくれる人はいるけれど、かまってちゃんをしているようで僕の事が気持ち悪くて仕方ない。僕が僕を許せない。だから、1人で頑張って乗り越えるのだ。1人で生きれるようにするのだ。

 

 

心に余裕が出来たら、また界隈に戻れるかなと少し考えている。創作を出来るようになれば、迷惑かけずに界隈にいれるはずだから。

 

それまで生きているか分からないけれど。

夢の話

夢、といっても将来したいことやこうなりたい、などの夢ではなく夜に眠っている時に見る夢の話だ。

 

僕は最近あまり眠れない日が続いている。寝付きも悪く、また1時間ごとに目が覚めてしまうのだ。けれどいくつかの不可思議な夢は見る。幻覚を見ているような、本当に本当に不思議な夢。

 

今日は3、4この夢を見たように思う。

 

1つ目、様々な愚痴や秘密にしたいこと、必死で言わないように押さえ込んで我慢していることを保有しているTwitterの全てのアカウントで公開してしまい酷くスッキリする夢だ。けれど決まって後悔して死にたくなって、目が覚めてから不安になって酒を煽った。ボロボロ泣いた。お酒を飲んだらまた頭がふわふわとなってまた眠れた。

 

2つ目、知人が真っ黒なローブのようなものを被って僕と話していた。皆背は一律に高く、肌は一切見えていなかった。顔は何故か見えないのに僕は相手を的確に認知して何も気にしないように話していた。

僕は何を持って相手を相手として認知しているのだろうか?顔?声?話す内容?背格好?謎である。夢だから、とおいておく。きっと夢だから分かったのだ。

 

3つ目、何かをみた、という記憶だけはあるのにも関わらず何を見たのか覚えていない。バイト中の事だったように思う。ぼんやり覚えているのは誰かの怒号とぼんやりとした細長い塊の群、それからでこぼことした線で不安定に楕円を描く何かだけだ。

きっといつかこの夢を忘れた頃正夢になるのだろうから放っておく。

 

4つ目。誰かの腸壁のような道を、やけにハンドルの高いバイクで走っていた。ハンドルが高すぎて上手く操縦できずふらついていた所を兄が現れて指南してくれたのを覚えている。どこに向かっていたのかは不明。

また、自宅の玄関にある水槽に熱帯魚ではなくイカが泳いでいた。柴犬、タヌキとキツネもいた。泳いでいる生物は姿形はそのままなのに水の中で生活できるように何となくふわふわと揺蕩う何かで包まれていた。

 

 

それなりに面白かったな、と思う夢だ。

 

沢山見れるのは面白いけれど、途切れずぐっすり眠りたいと思う。途中で起きても眠気が酷く、メモをする前に寝てしまうので忘れてしまうのが残念でならない。